2015年7月17日金曜日

生きる━ 劉連仁の物語 好評発売中

    函館の児童文学作家 森越智子さんの中高生向け文学書「生きる━劉連仁の物語」
    童心社から7月5日に発売。定価 本体1,600円+税   好評発売中

 

 


     劉さん描いた本楽しみ
 7月7日付北海道新聞読者の声欄に札幌市北区の主婦 鈴木比沙子さん70歳の表題の投書が掲載されました。転載して紹介します。

 太平洋戦争中に日本に強制連行されて、過酷な労働を強いられ道内の炭鉱などで亡くなった中国人労働者を悼む「中国人殉難者全道慰霊祭」が6月28日に後志管内仁木町で催され、炭砿から脱走し終戦を知らないまま道内各地を13年間逃げ続けた故劉連仁さんの長男の劉煥新さんが参列し、焼香しました。(29日朝刊)。
 私は2002年に民間団体主催の講座「アジア侵略の痕跡」に参加して、初めて劉さんのことを知りました。
 発見された石狩管内当別町の山中近くを訪ね案内人の話を詳しく聞きました。沼田町の炭鉱では満足な食事もなく、過酷を極めた労働に加えて日常的な暴力を受けたことから脱走し、山野を逃げ続け生き延びたそうです。私は奇跡だと思いました。
 その史実を函館の児童文学作家森越智子さんが「生きる 劉連仁の物語」にまとめて今月出版するという記事を読み、私は大変うれしく思いました。
 森越さんはこうした事実を子どもたちに伝えたいという強い思いがあったそうです。出版を楽しみにしつつ、私も民間レベルで中国との友好をつないでいきたいと強く思いました。

盧溝橋事件から78周年 札幌で7・7平和集会を開催

~日中戦争の戦端、
  盧溝橋事件(1937年7月7日)から78年~
   第30回 7・7平和集会
  
   戦後70年、いま植民地支配・
      侵略戦争と向き合う

 7月7日、札幌市民ホール会議室で30回目を迎えた「7・7平和集会」が、日本中国友好協会札幌支部やキリスト教団体など31団体でつくる実行委員会が主催して開かれ、160人が参加しました。


 参加者に、日中友好協会が作成した盧溝橋事件から78周年のチラシを配布しましたが、大変好評でした。 
実行委員長の今橋直弁護士が「盧溝橋事件から日中戦争、アジア太平洋戦争,第二次大戦へと突き進んだ歴史を胸に刻み二度とそういう国にならないように。いま、国会では安倍首相のもとでまた戦争に向かうのでないか、これをどう止め、彼らの野望を打ち砕いていかなければならないが」と述べ、講師の紹介をしました。
 講師の崔真碩(ちぇじんそく)広島大学教員は、「産経事件」について報告。 詳しくは現代思想の昨年10月号をお読みいただきたいと前置きしながら昨年の大学の授業で「ドキュメンタリーも客観を構成する虚構だ」として国連がつくった「終わらない戦争」というドキュメンタリー映画で韓国の慰安婦・性奴隷の証言などの映画を流しました。この映画を不快に思った学生が産経新聞に投書。産経新聞が一面トップで報道。インターネットで配信。大学に抗議の電話が殺到した。私にも抗議の電話がきた。また、ネット上で「反日テロリスト」と攻撃が続いたと紹介しながら、きょうお呼びいただいたように全国から講演依頼や激励も続いたことも紹介しました。
 私は憲法9条を守りたい。日本のため、東アジアのために。また、私が生きているうちに朝鮮戦争を終わらせたいと語りました。
  日本の滅亡について
 講演の演題「日本の滅亡について」1948年の武田泰淳著「滅亡について」岩波文庫を紹介。いまここにある滅亡について、3・12の原発の水素爆発事故。ことし4月異常に高い線量を発生させている。原発問題は、今だけ、金だけ、自分だけ、経済至上主義で未来を捨てているのでないでしょうか。と述べました。また、戦後70年日本の植民地支配を考える時、東アジアは滅亡を経験した。100年前朝鮮は日本の植民地支配で滅亡した。日中戦争で中国にも滅亡した村々がある。沖縄も地上戦で滅亡した。韓国では挨拶でアンニョン、パンモゴッソ?これは飯食ったかという意味で植民地支配や朝鮮戦争で空腹の記憶があるからだ。沖縄は命どう宝という。命の大切さを知っているから。滅亡したことがない日本、地上戦の未経験。3・12では蓋がとばなっかった。滅亡を先送りしてきたが全的滅亡が予感される。
  東アジアへの帰還
 戦争を経験した日本人の「慧知」として憲法9条を守ってきた。これを東アジアに向けて掲げ、積極的に東洋平和を構築することが重要である。冷戦下でアメリカの政策によって、台湾・韓国などの東アジアから日本は搾取し、平和と繁栄を謳歌したのでないか、反日は反日本軍国主義で反日本文化でない。と述べました。 東アジアの国際関係の中で憲法9条を立体的に捉え直すことが大事だと思います。日本の侵略戦争の痕跡(滅亡)の上にある東アジアには憲法9条が是が非でも必要、朝鮮戦争が終わっていない韓国などで平和の誓いの憲法9条に信頼があり、戦後70年、もう一度誓い直すことが必要でないか。憲法9条は東アジアのもの、東洋平和論が必要だ。東アジアの平和を希求しているから。日本は国家として滅亡し、いかにやり直すか、アメリカでなく東アジアに帰還。この道しかない。と述べ、日本が東アジアに帰還する道はいつでも開かれている、と話しました。
 質問時間で、タイトルの「日本の滅亡について」という深い意味について再度述べて欲しいと質問があり。
 崔先生は、滅亡ととことん向き合った時、強い意志が生まれる。強い希望が生まれる。いまの日本社会は経済至上主義で、簡単に希望を語ったら、政府にもっていかれる。文学者としての役割から最悪を予感して耐える。そこから強い意志が生まれる。今の国のやり方は全部お金に変える。ちょっと油断すると軽くやられてしまう。だから強く身構えてタイトルにした。と答弁しました。

    開会挨拶をする今橋直弁護士




    

2015年7月2日木曜日

劉煥新さんと行く当別ツアー

慰霊祭の翌29日、日中友好協会と旅システムとの共同企画で,劉煥新さんと行く当別ツアーが開催され、47人が参加しました。
 材木沢の「劉連仁生還碑」の前には地元の「伝える会」の三上勝夫会長や劉連仁さんを保護した時の木屋路喜一郎さんと宮司正毅当別町長などが出迎え、「碑前のつどい」を開催。三上会長の挨拶、宮司町長の挨拶に続いて、煥新さんが献花をし、挨拶しました。劉煥新さんは「木屋路さんは父連仁の命の恩人」などと話しました。
 近くの若葉会館に移動し、交流会を開催しました。
 劉連仁さんを保護した当時の模様を木屋路喜一郎さんが話し、参加者からの発言で函館の児童文学作家森越智子さんが「生きる━劉連仁の物語」の取材や出版について発言し、真新しく装丁された本を劉煥新さんに贈呈しました。伝える会の大沢勉会長代行は生還碑を訪れる人々の説明役などの活動について報告しました。煥新さん・利さんは息子から観た父親像、孫から観た祖父像を話しました。
劉連仁生還記念碑前で参加者記念写真

第50回中国人殉難者全道慰霊祭を盛大に挙行

6月28日、仁木町の中国烈士園で、中国から故劉連仁さんの息子劉煥新さんと孫の劉利さんを迎えて、第50回中国人殉難者全道慰霊祭を開催しました。
 真宗大谷派5か寺の住職による読経の中、150人の参列者が順次焼香しました。慰霊のことばを佐藤聖一郎町長が、追悼のことばを中国駐札幌総領事館孫振勇総領事の名代として参列された李春首席領事が奉読されました。追悼の歌を清水紫さんが捧げました。
 代表世話人の和田健夫小樽商大学長が挨拶。劉煥新さんが挨拶で「父は13年間も野人のように逃げ続けた。北海道では多くの事業所で強制連行された中国人が強制労働させられた悲惨な歴史がある。今日は息子と一緒に来たが、憎しみを伝えるのでなく友好の大切さを伝えていきたい」と平和の尊さを訴えました。
 体調が思わしくなく欠席された華僑総会の席占明さんに代わって呉敦さんが挨拶され、仁木町議会議長山下敏二さんの挨拶が代読されました。
 最後に慰霊の太極拳表演が行われました。
 慰霊祭に先立って、町民センターで交流会が行われ、劉煥新さんが挨拶され、全道各地からの参加者紹介、また、北海道在日中国科学技術者聯盟、華僑華人婦女会、北海道中国会など在日華僑のみなさんの紹介が行われました。
   席占明さんを訪問
 劉煥新さんと劉利さんは、27日、席さん宅を訪問。席さんは、1958年2月、劉連仁さんが保護されたとき通訳を行うとともに帰国まで熱心に援助されました。煥新さんは「発見者の袴田清治(故人)さんと、保護してくれた木屋路喜一郎(90歳)さんと席占明(90歳)さんの3人は父の命の恩人だ」と話していました。体調を崩された席さんに優しい言葉をかけ、中国から持参したお土産を手渡し懇談しました。
   室蘭を訪問
 劉煥新さんと劉利さんは、26日、イタンキ浜の中国人殉難慰霊碑を訪れ、献花を行い、室蘭の日中友好協会の会員など、集まってくれた15人ほどの皆さんに挨拶をされ、会場を移して昼食・懇談会を行いました。
   当別ツアー
 29日は当別ツアーを行いました。
 30日は小樽を訪れ、小樽商科大学和田健夫学長に挨拶をされ、懇談しました。小林多喜二の文学碑を訪れ、運河周辺も散策しました。
  送別会
 30日夜は札幌駅北口で、煥新さんと利さんの身元引受人となりビザ発給にお骨折りをいただいた田中貴文弁護士を交えて、夕食送別会を行いました。
 お二人は,午後8時前のエアーポートで千歳に向かい、7月1日、早朝の便で関西空港を経由して、青島に戻られました。

真宗大谷派5か寺の住職の読経





焼香する劉煥新さんと劉利さん

世話人代表のの挨拶をする和田健夫小樽商大学長