2015年8月28日金曜日

8・15 反戦街頭宣伝行動

 戦後70年の2015年さっぽろ平和行動は、8月6日から9日まで、札幌地下街オーロラコーナー(大通西3丁目「道新通路」)で「戦争と平和を考える」パネル展(後援札幌市)が開催され、原爆と人間展を主体に展示しました。
 終戦記念日の8月15日は午前11時から30分間、三越前で、例年より多い50人を超える参加者で『「戦時中の召集令状」に「これが赤紙です」』と記したチラシを約千枚配布しました。
 赤紙の裏面には、憲法九条を守り、憲法違反の「戦争法案」を廃案にしようと訴えが掲載されています。 実行委員会の細川久美子委員長(平和婦人会会長)が戦争中のもんぺ姿で、「今赤紙を配布しています。手にとってご覧ください」「みんなが声をあげて戦争法案を廃案に追い込みましょう」と呼びかけました。長崎の原爆で被爆された方がその被爆体験を語りながら、戦争法案の廃案を訴えました。北海道原水協の嶋田千津子事務局長は防空頭巾をかぶり「赤紙」を配布。医労連の看護師は、右半分は今の白衣の看護師のスタイルで左半分は黒色の従軍看護婦の制服姿で、日赤の看護婦が5万人も従軍した歴史などを話し、戦争法案の廃案を訴えました。
 日本中国友好協会札幌支部からは、小川勝美理事長と影浦貞宏事務局次長が参加し、通行する市民の皆さんに「赤紙」を配布しました。
 15日正午のNHKの道内ニュースで小川勝美理事長がさっぽろ平和行動のピンクの法被姿で市民に「赤紙」を配布している映像を流し、さっぽろ平和行動の活動を報道しました。 

                 赤紙配布に参加した小川勝美・影浦貞宏の両氏

2015年8月25日火曜日

ベトナム戦争終結40年    ツーズー病院タン院長とドクさんとの市民交流集会


  8月5日、札幌の道新ホールで、「ベトナム戦争終結40年、枯葉剤の苦しみ今も」と題して、ベトナムのツーズー病院のタン院長とドクさんを迎えて、市民交流集会が開かれ、230人が参加しました。
 たかさき法律事務所の小池ちひろ弁護士の司会で始まり、6分間の映像「沖縄のベトナム村」を上映。沖縄にベトナムを模した村を作り、沖縄の人を借り立て、ベトナム人に模して、ジャングル戦の訓練を行っている映像でした。
 呼びかけ人を代表して、日本弁護士連合会の元副会長の髙﨑暢弁護士が「国民の多数が戦争法案の廃案を願っている。若者やママさんも反対に立ちあがっている。創価学会員も反対の声を上げ始めた」と紹介しながらタン院長とドクさんを迎え、さらに廃案まで頑張ろうと呼びかけました。
 タン院長は、米軍による枯葉剤の散布で、植物が枯れるだけでなく、土も水もそして汚染された魚を食べて手や足の無いこどもが生まれたことを生々しく語りました。
 10年前からアメリカを裁判で訴えているが何の回答もないと怒りを語りました。
 ツーズー病院には60人が入所する施設「平和村」がある。枯葉剤の2代目3代目です。と紹介しました。ここに海外からの訪問者、日本からもよく来られる。戦争が終わってから生まれるこどもに長く影響が出ると話し「皆で世界を平和にしましょう。世界から戦争を無くしましょう」と呼びかけました。
 ドクさんは「私は戦争の被害者で、兄のベトは2007年に死にました」と語り、「今生きているのは日本の先生のおかげです。1988年手術で2人に分けました。私はコンピューターを習い、平和村の社員になった。私は脳障害があるので3年のところを5年かけて学んだ。私は走れない。歩くのも大変です。結婚して2人のこどもがいます。上の子は小学校1年生になります。私は、日本がベトナムの病院などに支援してくれていることに感謝しています」と述べました。
 挨拶する髙﨑暢弁護士
報告する平和村のタン院長とドクさん

2015年8月4日火曜日

三笠から日中友好の灯を消せない

 故人となったった岩崎賢治さんを偲んで

           美唄支部長 供野 周夫
 十数年前の事だったと思うけれど、三笠の岩崎賢治さんが岩見沢のある総合病院で肺がんの告知を受け、場所が悪いため手術はできないので、抗がん剤を主体にした治療をしても余命3か月ということを聞きました。その後、札幌市菊水の国立がんセンターに転院して回復しました。
 毎年、日中友好協会のカレンダー普及の時期になると美唄から三笠の必要分を私が届けていました。
 退院した年の彼の姿は痛々しかった。抗がん剤の副作用で頭髪は抜け落ち、まだ、病人の顔をしていた。
 それでも彼は、三笠の日中友好協会の中心メンバーが高齢化のため次から次へと他界していったので、「三笠から日中友好の灯を消さないために生きている限り自分がやる」と力強く語っていた。
 いまは、静かにご冥福を祈るのみです。


 日本中国友好協会三笠支部長の岩崎賢治さんは、6月14日、77歳でご逝去されました。
 日中友好協会北海道支部連合会は、葬儀に当たり、生花一籠を供し、副会長・美唄支部長の供野周夫さんが葬儀に参列しました。